昭和40年03月17日 夜の御理解
神の綱が切れたというが神からは切らん、氏子から切るなと仰る。何か自分の思う事にならなかったり。逆境に立ったりしておる時には、果たしてしてそういう考えがする。こりゃあもういくら神様にお願いしたっちゃ同じこつ。もう神様の綱も切れたのだろうかと、こう思うような時があるけれども、決して神からは切らんと仰る。
氏子から切るなと。私共は、神様が氏子を幸せにしてやらねば止まぬ、というようなその一念の綱にすがり貫かにゃいけん。神様が幸せにせなおかん、幸せにせなおかんというその、神様のその思いの一念。その一つの綱にすがりぬかなければいけん。どのような場合でも。今日は、親教会のお月並祭。それに、総代さん方、福嶋さんあたりを交えて、久保山先生のお土地の購入の事について、お礼のお届けがございました。
また、お願いせなならんこともあったので、今日は皆一緒に、高芝さんの車でお参りをさせて頂いた。丁度、お参りして来よったところへ電話が掛かってきた。むつやから電話。今日はあちらの二番目の娘さんが、の結婚式があっておる。今日がお嫁入りの日なんです。ですから、ここのご信者さん方も必ず、ここで結婚式を挙げないでも、必ずいっぺんここに花嫁の正装いたしましてから、式場に向う前に、ここにお礼に出てくるのが、ここの御信者さん方の慣わしになっとる。
ところがそのお参りはさせて頂いても式は、まあ田主丸の町ですけれども一時間の所。けれでも私が帰るのがこうして一時頃になる、それでどうしてもその式の時間と、それから自分達が帰り出てこられる時間が合わないもんですから、もう仕方が無い。もうとにかくまあ神様はござるのだからというような思いで、御礼に出て来れなかった。ふつうのお月次祭でしたら誰か代参をさせてましてから。
私が残って、いわばやりたいような思いで一杯でしたけども、そんな訳で今日私がどうでも行かなければいけない事でしたもんですから、そこへ丁度また信司郎さんがやって参りましてから、あの先生は何時ごろ帰ってみえるでしょうかと、言って又やって来ました。今あんたん所から電話が掛かったばっかりだったが、こんな訳でです今出らないけんから、まあ今日は私が出て来る時、丁度勝彦がここに座っとりましたから。
今日は若先生がお取次させて頂くから、あの、そのつもりで出て来る様にと私はおらんでも、もう神様はござるのだからというて帰したんです。それでもう何とはなしに、私も寂しいし、やっぱりいっぺん、あちら熱心に参ってきとります、う、和恵さんの場合でも花嫁姿も見たいとこう思っていたけれども、そんな訳にはいかなかった、ところが今日は、おかげを頂いとるんですよね、もういつも12時半、私が帰るのが1時になるんですけれども、今日に限って親先生お説教なさらなかったんです。
親先生がお説教なさらないはずは、まずないですね、もうそりや自分の思うておる時間はキチットお話なさらなければでけんのですけれども、今日は先生がお説教なさらずに修行生の方が少しお話なさったわけで早かった。丁度そのお祭りの半ばに福嶋さんところから電話がかかったもんですから福嶋さん中座しなさらなければならなくなった。それで、高芝さんは車で、椛目に代車置いてございましたから高芝さんが送って来てるわけなんですね。福嶋さんを。
ところがその、むつやはまだお礼に出てみえてませんよ、ちゅうてからその長男が申しますですから。あらまだ出てこんですか。て言うてそんなら、ひょっとしたら間に合うかも知れんけん、親先生をまた呼びに行こうちゅうてから、また呼びに来て下さっておるんです。高芝さんが。まだお礼に出て来てないというもんですから、私はまあ丁度私はバスで帰って来る予定でおったんですけども、迎えの車でまた帰らして頂いたら。
丁度ここでお届けが済んでからそこに控えておるところに帰ってまいりました。ああおかげ頂いた。 私もおかげ頂いた。神様からお届けもさせて頂いた。神様に門出に頂くご理解も頂いた。本当に有り難いおかげの中にちょうど沈んでおらんでおって、まあ帰らして頂く後姿を拝まして頂いてからです、いつものことながら有り難い事だなあ、おかげを頂いて有り難い事だなあ、おかげの中にいつもこうしてあるんだなあという実感をいよいよ深めていかんわけにはまいりませんのです。
たったそれだけの話なんですけれども、神様のお引き回し、それが日々いつもそういうふうなおかげの中にお互いが繋がっておると言う事なのです。言うならば、私の願いの中に皆さんがいつもあるということなのです。ですから皆さんがその、私の皆さんの事を祈らせていただく一念の願いというものがです、その願いの綱と皆さんとの間に家庭生活の上にです、様々な難儀な問題の上に繋がりを持ってさえおればです、必ずおかげになると言うことをいよいよ確信させて頂く訳なんですね。
どのような場合、どのようなことに直面いたしましてもです、これはおかげになると。親先生の信心と繋がっておると言う事は、それは必ずおかげになるとこう確信して、安心して日々を過ごしていくことが出来るというわけなんです。なら、これは私がここで信心修行させていただいたから、これは頂けれるようになったと言うのじゃない、遠くを言うならば教祖の神様。
そして、二代四神金光大神様、三代様、そして九州で道をとられた開かれた所の桂先生のご信心。ね。その後をお受けになられたところの、福岡の吉木先生、久留米の石橋先生、そして、三井教会の初代の荒巻の親先生。そういう方達の信心がです、ね。悶々として私の所に繋がっておる、流れてきておるんだ。それで、私共がその先生方のご信心の綱を切ってはならないと言うのが、私のこれは念願としておることなのです。
小倉の桂先生がこういう有り難い信心を、ね、こういう有り難いご信心を、わずかばかりの者で信奉しておるということは勿体ない。どうでもこの有り難い信心を世界万国に輝かせねばおかん、その為に桂松平はもうそれこそ、自分のみで心で叶う修行ならば、どげな修行もいとわんという、あの不退転のご修行とご信心がなされたのです。ですからそういう大きな願いに私共が、私共もそういう願いを持つことなのである。
椛目だけが助かるというのじゃない、お道の発展が、そう、世界の平和にまで繋がっていくというような思いを私は頂かなければならない。福岡の初代が、二代金光様から頂いておられる、ね、馬鹿とアホで道を開けとおっしゃった。私共がどのような場合でも、どのような難儀の場合でも、ね、利口になろうと言うのじゃない、賢うなろうというのじゃない、いよいよ有り難とうならして頂いて。
この先生ちっと馬鹿じゃなかじゃろうかと皆が言うくらいに馬鹿とアホになってさえいければおかげが頂ける道を私共は切ってはならないということ。私は今日、ほんのチョットの時間だったですけれども、あれは、森光子演ずるところのなんとか、っていう映画、あってますですね、午後に。なんか、あの、主人にずーっと騙されておる、なんか映画なんです。筋を私は、こうかは知りませんけど、そこんとこだけを見た。
見ております子供達がです、ほら、まただまくらかされよる、また騙されよるって言う訳なんですね。騙されては金を取られる、騙されてはその、もうとにかく気が良いのですね。私はそれを見ながら思うた。あそこに、もし、あれが、騙されよるとがもし私ならです、もう騙されよるたんびにおかげ頂くことじゃろうにと私思うとです。そこを、信心のあるもんと無いもんの違い。信心があるもんが馬鹿になるのと、信心の無いものが馬鹿になるとの違いがあるわけなのですね。
死にものぐるいのようなはがいい思い、ところが神様は私がよし、んなら馬鹿になり阿呆になりしとるときの、先生ばっかりは、はがいか。もうほんとに。って言いよるけども、しかし、あの次には親先生が、またどげなんおかげば頂きなさるじゃろうかと思うてから、心の中で皆がそれを期待しておるでしょう。そして、期待が外れることだけではない、思いもかけないおかげがそこからいつも進展しておるのです。
だから、私共がその、馬鹿とアホにならして頂くという、福岡の初代先生のご信心を、その先生のご信心を、の綱を切ってはならないと言う事。久留米の初代が、やはり、四神様でしたか、信心辛抱さえしておけば物事整わんことはないという、ご信心をです、自分の信心の掛け守りのように守りぬかれた。どんな場合でもずーっと辛抱しぬかれた。ね。私共もその中でも、この私達がその流れの中に、信心辛抱やはりし貫かせて頂くという、私はそれを切ってはならない。
善導寺の初代は、ね、学院を卒業されて、いよいよ布教に出られる、いよいよご本部を帰られるという重役。何にも分からない私が今から布教に出らして頂くのですけれども、なにかそこに一つの信条というものがなかならければならない。人が、一なら、十意を決して、教祖の神様の奥城にお座り貫かれた。御祈念し貫かれた。そして、神様から頂かれたところの、凝りを積ますな、凝りを積むな、身を慎め。という御教えを頂かれた。それが、善導寺の信心の中心。ね。
それを私共がまた、受け継がせて頂かなければならない。というように、どこを、どう切らせて頂いても私はならない。そこに、現在の椛目のヒレイ、椛目のおかげ。今日ただ、今日その、むつやと私の事についてのです、ね。日々、これは、毎日毎日の事ですけれども、そういう万事万端、御都合、お繰り合わせの中に、その素晴らしいタイミングの中に、今日一日おかげを頂いたという事の中に、これはむつやだけではない、それに関連しておる、言わば高芝さんもやはりおかげなら、ね、
福島さん宅から電話が掛かって来たというような事もあるかも、もうなんとも言い知れぬ神様のお計らいであったということになるのです。福島さんが帰ってこれなかったら、高芝さんはここへ送ってくることは出来なかった。そうすりゃあもう高芝さんな田主丸に帰られるとこだった。そうすると私は、二人で最後までおって、もちろん最後までおったんですけれども、ボチボチ歩いて、そして、バスを待って帰ってきよりゃあ、もう一時の式には間に合わんから待っとてもここでまっとくはずがないでしょう。
ですからそういうふうに関連しておるね、ここそういうおかげを頂いておるということを、一つ皆さんが確信しなければいけません。そういう信心に繋がっておるんだと。だからこれにすがってさえおけばおかげになるという私は一念を燃やさなければいかん。それが修行しておりませんとです、それは一念
(テープがおかしい)
かかる迷いがある。これがほんなこっじゃあるじゃろうかと思う、こんなこっで大丈夫じゃろうかとこう思う。その、大丈夫じゃろうかと不安に思うたり、迷うたりする心が神様の綱を緩めることになったり、離すことになったりするのです。おそうまで、私そこで、こう、丁度、長男が奉仕しておりました。久保山先生と代わられてからもう四時半頃だったですか、お茶でも頂いて、ところが急に頭痛がしだした。
それから家内に床をとらして、休ませて頂いたのが五時から丁度七時頃まで休ませて頂いておる間に、また、福島さんの方から、ある、難儀な問題で電話が掛かって来た。長男がそれを受けた。お取次をさせて頂いてから、それを自分で返事をすることの出来ないような問題だったもんですから、親先生にお伺いさせて頂こう、ちょっとお待ち下さいというので、その、私の寝室にやって来たところで、私があんまりグッスリ休んでるもんだからその時考えたんですね。
もう親先生ならここんところをこうお返事になるのに違いないのだけれど、自分の信心がないもんだから本当に相済まんことだ、もし先生が起きておられるならこう言われるに違いない、ということをお伝えしたと言うて、いま福島さんがお参りされるほんの前に長男がそんなことをお届けさせていただいた。どう言うてお届けさせて頂いたか、福島さん、その意気込みを貫きなさい。っていうご返事させて頂いたと。
おかげ頂いた。私がおってもそういうただろうという。そういう微妙な繋がりというものがあるのです。ね。そんなわけですから、そんならば、どんな人間心、人間心、普通ならばです、なら、ああもしなさい、こうもしなさい、あそこにちょっと拝んで下さいといったような状況の中に、神様を信じて疑わない、精神を貫かせて頂いておかげを頂かしていただけと、こうお取次をさせて頂いたということを聞かせてもろうて、私と長男が繋がっておらなければ、それは言うだんのこっちゃないと私は思うですね。
どうでしょうか。神の綱が切れたと言うけれども、神からは切らん、氏子から切るなと。氏子の不信、いわゆる神様を信じることの出来ない、その心が迷うたり、言わば、神の綱を外したり、そして不自然にも自分の思う勝手なことをさしてしもうてから、いうおかげもいただかんていうようなことでは相済まんことになるでしょう。神からは切らんとおっしゃるのですから、私共が、氏子から切るなと仰る。
切らんで済むだけの日頃信心を鍛えとかなければならん、しとかなければならない。救いの綱というものが、例えば、私共が溺れておる難儀、そこに神様が船を漕ぎ寄せて救いの綱を投げかけて下さる。その、救いの綱にいよいよ引き上げられる時には、それこそ目に見えておること、きもんじっくりなっとるので、なかなか、もう、船には、船べりには手を掛けておってもです、ね、
なかなか上がる力がなくて、それに、上がる力がなくてまた、ズブズブと沈んで行くような例がいくらもあるということ。ここんとこを、もう、いわゆる金光一番、神様におすがりして、言わば、信心の、日頃頂いておる信心をふるに生かさせてもらう。ね。力の限りを、言わばラストを大事にするということ。
そして、その神様の綱にすがり、神様の救いの船に救い上げさして頂くとき、初めて神様のおかげを実感することが出来るのであり、信心頂いておる者の有り難さを謳歌することが出来るのである。そして、どんな場合でも、こういう調子でおすがりさえしていきゃあ、間違いないという確信がいよいよ募って行く。強うなって行くわけだろうと私は思うのですね。そこに、安心の生活が約束されるわけなんです。おかげ頂かなきゃいけません。